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西陣の町屋 |
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京都の街は、基本的に碁盤の目状態になっており、東西南北で交差する道路の名前を記入すれば、だいたいの住所がわかるようになっている。といっても、京都人ならいざしらず、地方の人にはわかりずらいようだ。この地方の人にわかりにくい通り名は、歌になっていて、覚えやすいようになっている。たとえば、横の通りは、丸竹夷二押御池、、、(まるたけえびすにおしおいけ、、、) 縦の通りも覚えやすいように歌になっているが、現在では街が広がり大きくなっていて中京区と下京区ぐらいしかカバーできていない。 元々、京都の街は、中国の長安(西安)をモデルに平安京のころに出来たもので、上京と下京ぐらいしかない小さいものだった。それを現在の規模にしたのが豊臣秀吉である。約四百年前のことだ。西陣は、平安京のグリッドの上には乗っていなくて、秀吉の時代にようやく都の西北部に位置するようになる。 現在では、西陣というと、北は鷹峯から南は丸太町,西は北野神社から東は烏丸通までというおそろしく大きな範囲である。これでも小さいと言われるかも知れない。 応仁の乱で西軍の将であった山名宗全が陣を構えたのが縁で西陣というようになったらしいが、現在では、東軍の細川勝元の陣営も西陣地区に含まれてしまっている。戦では引き分けたが、山名宗全は、名を残したということか。 |
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証紙の文字は、